日本のゴーギャンとも呼ばれる田中一村。

2018年4月に放送のなんでも鑑定団で屏風が3000万円とかなり高額の鑑定が出たことでもご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?

幼いころから才能ありと言われていた画家で、特に50歳で奄美大島への移住を決意した一村。

彼の作品は、奄美大島の自然の魅力や、奄美での生活への愛が伝わってくるような作品ばかり。

南国の極彩色に彩られながらも心地よく、思わずいいなぁ。と口に出してしまうような作品です。

奄美大島という環境に来たのなら、絶対に見に行く価値ありです!

美術館は空港から近いので、初日や最終日に行くと効率的ですよ。

田中一村ってどんな人?

明治41(1908)年に栃木県に生まれると、幼いころから画才を発揮し神童と呼ばれるほどでした。

上の『白梅図』は、わずか8歳の時に描いた絵!

柔らかい筆の動きが見てわかるようで、大人でもこんな絵描けないんじゃないかと思ってしまいます。

その後、東京美術学校に入学するという美術界のエリートとして華々しいスタートを切りましたが、わずか2か月余りで中退。

理由は、先生に「ここには君に教えられることはない」と言われたからだとも言われていますが、正確な理由はわからないそうです。

その後一村は様々な展覧会に出品しますが落選を繰り返し、失意のうちに自分の絵を支持してくれない支援者との縁を断ち切り、美術界をけん引していた中央画壇との交流も断ちました。

そして当時住んでいた千葉から、九州へ大自然をスケッチする旅に出ます。

九州の自然の鮮やかな色に心を突き動かされた一村は、感動を逃さず描き留めるかのように、たくさんの絵を残しています。

『放牧』

もっともっと、自然を、自分の思う絵を描きたい。

田中一村は50歳の時に南国の島々の自然に魅了され、奄美大島に移り住みました。

奄美大島で一村は島の人たちに支えられられ応援されながらひたすらに奄美の植物や生物などの自然を描きました。

『奄美の海に蘇鉄とアダン』

大島紬の工場などで働き、生活費が溜まったら仕事を辞めて絵の製作に専念するという清貧な生活を送っていた一村。

ストイックに絵だけに打ち込む彼の姿は島の人々には少し異様な姿にも写っていたようです。

没後になって彼の作品は一世を風靡し、数多くの人々に感動を与えました。

『海老と熱帯魚』
『奄美の郷に褄紅蝶』

再来したい!田中一村記念美術館

田中一村記念美術館には、奄美の自然を描いた代表的な作品はもちろん、彼が奄美大島に移る以前の作品も多く展示されています。

いろんな土地を旅する過程で、作品の雰囲気がどう変化していったのかも見ることができますよ。

伝統的な高床をイメージして作られた美術館の雰囲気は、全体的にリラックスできて落ちついた雰囲気。

高床の小屋が3つつながったような外観をしていて、小屋と小屋の間の通路はガラス張りになっているので、そこからよく整備された池や芝生を見渡すことができます。

また展示作品数も少なすぎず多すぎずちょうどよく、作品も奄美大島で見るからこそ一村の奄美での日常への愛が自分にもスッと馴染んで心地いいです。

気に入ったのでまた行きたい場所です。

『白い花』

一村の作品の全体的な感想は、心地いい。というものです。

夏の天気のいい日に見に行くと、奄美大島を描いたにしては少し落ちついた色味という印象を持つでしょう。

もちろん極彩色の作品もありますが、全体としてはしっかり亜熱帯の動植物を描きながらも、曇りの日が多い奄美の雰囲気を素直に描ききった絵だなぁという感じで、わたしはとても好きでした。

そして、一村が感じていたであろう、奄美の自然への愛しい気持ちが随所から感じられるのも、わくわくさせてくれてとても気に入りました。

田中一村記念美術館へのアクセス

美術館は奄美パークの中にあります。

レンタカーを借りない方でも、バスで広大な駐車場を横切って奄美パークの入り口まで行けますので便利です。

バスの時刻表はこちら。

<名瀬から奄美パークへ>

<空港から奄美パークへ>

<田中一村記念美術館>