奄美大島に移住したわたしが気になったのが、人々の苗字でした。
出会う人出会う人、漢字一文字の苗字が多い!!
しかも、壽(ことぶき)さん、祝(いわい)さん、祷(いのり)さん、福(ふく)さん、勝(かつ)さんなど、なんとなくおめでたい漢字が多く使われています。
なんでこんなに多いの?何か理由がある?と聞いていくと、見えてきたのはおめでたい漢字とは一転、奄美大島でつい最近まで強いられていた苦しい生活や、悲しい歴史の姿でした。
奄美大島の名字は珍しい一文字
奄美大島の珍しい苗字といえば、漢字一文字の名字。
集落によっては、ある名字の人が偏って多い地域があったりします。
島内でよく見かける名字は例えばこんな感じ。
- 壽(ことぶき)
- 嘉(よしみ)
- 栄(さかえ)
- 恵(めぐみ)
- 祝(いわい)
- 祷(いのり)
- 祈(いのり)
- 禱(いのり)
- 勝(かつ)
- 昇(のぼり)
- 福(ふく)
つい「いい名字ですね!」と言いたくなりませんか?
奄美大島の苗字はなぜ一文字?悲しい歴史は江戸時代まで遡る
奄美大島の人の苗字には、江戸時代に受けていた薩摩藩からの厳しい支配の影響が色濃く残っています。
奄美大島は当時、二重三重に占領されていました。
元々は琉球王国の一部、あるいは琉球の属国だった奄美大島。
そのため、文化的にも琉球の影響を多く受けました。
実際に奄美大島で暮らしていると、食べものや言葉など、沖縄に似ているなと感じることがたびたびあります。
さて、当時中国との交易を望んでいた薩摩藩は、琉球の属国として中国とすでに交易をしていた奄美に目をつけ、侵略・占領します。
薩摩藩は大きな影響力を持つ藩として今も有名ですが、実は豊かな土壌には恵まれていなかったんです。
そんな薩摩藩がどうして全国的にも目立つ存在になれたかというと、要因の1つは奄美や沖縄の黒糖でした。
奄美の島民たちはサトウキビの栽培と黒糖の加工に奴隷のように従事させられ、それを薩摩藩が莫大な利益に繋げていたんですね。
島の方に当時の話を聞くと、伝え聞いて知っている話がある方はみんな薩摩藩への恨み話をしてくれるほど。
それもあり、奄美大島の方に、奄美大島は鹿児島県の…という言い方をすると嫌がられることが多いです。
とはいえ、沖縄や琉球というのも違うと言われます。
奄美大島には、大島紬や結の精神など奄美独自の豊かな文化があり、人の温もりがあり、島の人はみんなそれを誇りに思っています。
鹿児島でも、沖縄や琉球でもなく、奄美大島は奄美大島なんですね。
街のガイドさんに聞いた話ですが、奄美が薩摩藩に支配されていた時代、苗字を名乗れるような身分だった島民は、奄美大島の出身者だとひと目でわかるよう、漢字一文字の苗字に改めることを強制されたそうです。
ほんの60年ほど前まで、鹿児島をはじめ内地では奄美など離島出身者への差別があったそう。
薩摩藩のお武家さんからすると、差別対象となる島の出身者が自分たちと同じように名乗るのは許さないというところでしょうか。
あまり気持ちのいい話ではありませんね。
奄美の一文字の苗字、おめでたい漢字は島っちゅの喜びの現れ!
奄美大島には、集落の大半の方が「祝」さんという地域もあります。
目にするたびにおめでたい気分になるようでとてもいいなと思いますが、なぜ支配されていた過去を踏まえてなお、そんな漢字を使う方が多いのでしょうか?
時代は飛び、戦後の1953年。
奄美大島はアメリカから返還され、度重なる支配からやっと解放されることになります。
シマッチュ(奄美大島の島民のこと)たちはとても喜び、自分の名前を変えてまで喜んだ人も多かったそうです。
昇(のぼり)さん
嘉(よしみ)さん
栄(さかえ)さん
祷(いのり)さん
勝(かつ)さん
恵(めぐみ)さん
などなど。
明るい気持ちになれる漢字が多く、当時の人々の喜びようが目に浮かぶようです!
現在の奄美大島の人の苗字には「山田」さんなど、漢字2文字で内地でもよく見る苗字もあります。
ですがやはり、集落を歩いていると目に入ってくるのは漢字一文字の表札。
個人的にはこういう苗字がとても好きで、お家の表札やお墓の文字を見ながら街歩きをしたりします。
奄美大島のお墓の墓石には、金色で文字が刻まれていることも多いのですが、金色でおめでたい漢字が刻まれていると嬉しい気分になります。
奄美に観光に来たら、こういうちょっと変わった視点で街歩きをするのも楽しいかもしれません。
戦後の1593年、ってなんの戦後?
戦国時代??
誤字でしたね。失礼しました。正しくは1953年です。
12月25日に返還が発表されたので、「日本へのクリスマスプレゼント」として宣言されたそうです。
興味深く読ませて頂きました。
私の先祖は奄美大島出身です。祖父の代に鹿児島に渡りました。曽祖父のことまでは聞いたことがありますが、その前のことがよくわからず、昨年親戚を頼って奄美を旅して見ようと試みましたが、コロナで中止になりました。今父は静岡にいますが、98歳で従兄弟の子孫がまだ名瀬とカサリにいます。私の苗字変わってるでしょう?一文字ではありませんが奄美と鹿児島の親戚以外には殆ど居ません。余程地域性があるか、変わり者の先祖が思いつきで付けたのかなと思います。それにしても珍名で、色々人に由緒を聞かれて困ります。なんとか糸口を見つけたいと思います。例えば流人だったとか外来人だったとかでも構いません。ただもしあまり誇れない歴史であれは奄美の親戚に尋ねるのも憚れます。
66歳神奈川在住です。
宝納さん
コメントいただきありがとうございます。
たしかに、島でもあまり聞かない珍しい苗字ですね。
なにかストーリーがあるのかもしれません。
わたしは「宝納」の苗字については今のところ情報はなにもないのですが、
もし奄美大島にいらっしゃることがあれば、奄美博物館の方や関連しそうな集落の区長さんなどに尋ねられると
なにかヒントがあるかもしれません。
とても縁起のいい漢字の苗字ですので、いいストーリーに由来しそうですね!
楽しんで由来探しの旅ができるといいですね。
もし今後分かったことがあれば、もしよければぜひ教えてください。
こんにちわ!
宝納さん。奄美在住です。
私の知人にも同じ名前の方がいますが、ご先祖さまが、神主のような役割をされる方、税(サトウキビ)を徴収する方、だったとお聞きしてます。それから、奄美は大昔から流刑の島でしたが、ほとんど、源平合戦に敗れた、平家の方だったりします。ですから山あいの小さな神社が平家の方を祀ったものが意外にたくさんあります。近年では「西郷隆盛」ですね❗この人の島での奥さんが「愛加那さん」この方との息子さんが、西郷菊次郎としてかなり活躍されてたはずです。たぶん宝納さんは、龍郷町に多い名前です。
西郷菊次郎さんも龍郷町生まれですよ。聞きかじりですが、誇っていいお名前だと思います。
大袈裟ですが、奄美の黒砂糖、沖縄の貿易がなければ、明治維新はできなかった…。(笑)くらいに思ってます。ただ、悲しいことに、同じ鹿児島県内ですが、今だに差別はありますよ。気持ちの持ちようだと思います。最後に、これは、個人の意見なので気にさわることがあるなら
ごめんなさい
島にはリュック背負って「じいちゃんのルーツ捜し!」と、いう若者に遭遇したことが、なんと4回もあります いもーれ奄美
じんさん。
こんにちは。私の先祖も奄美大島です。
父方の父母共にです。(父方祖父母)
家系図で見たら、元々は永1文字でした。
祖父母は島を出て永井にしたようです。
龍郷町出身でした。父方の方に聞く人がおらず
1文字でナガイと呼んでたのでしょうか。
もし、
永の名前にまつわるお話などご存知ありましたら
是非教えて頂けたら嬉しいです。
奄美大島にはまだ行った事がないので近々行きたいと思っています。(^^)
私は今年60歳、やはり色々落ち着くとご先祖様の事が知りたくなり2023年10月兄妹で奄美大島に旅をして、飛びこみで尋ね歩きました。両親は笠利の出身父は有川で母は朝です。奄美の方は本当に気さくで両親の事を調べていると言うと大抵はどうぞと家に招いて下さいました。色んな話が繋がりつつあります。姉が張り切って家系図を作ると言っています。奄美はどの家もバナナの木とハイビスカスが咲いていました。是非一度行ってみてください。
私も神奈川県に住んでいます。
参考になりました。
取引先の新しい担当者が「恵」さん。
聞いたら奄美地方の御名前との事で、調べてみたらコチラのページに辿り着きました。
歴史背景も理解できました。
解説、ありがとうございました。
てげてげさん
嬉しいコメントありがとうございます!
恵さん、とてもいい苗字ですよね。
参考になりましたら幸いです。
こんにちは。
島の文化について色々調べてたらこのサイトに辿り着きました。
私自身奄美出身(両親は宇検出身、私自身は笠利育ちで高校生の時に名瀬に引越)ですが、「嘉」「祷」「祈」「祝」さんは見たことがなかったので初めて知りました。笠利は「中」「平」「里」が多かったと思います。
私が出会った中で島でも1人か2人しか見たことない苗字は「朝(あさ)」「井(わかし)」「俊(しゅん)」。
「井」は「い」という苗字は熊本県に多いのですが「わかし」と読むのは奄美にしかいないようです。また、「朝」と「俊」は奄美大島に多い苗字のようです。
ちなみに私の苗字は「森」ですが、名瀬の団地に住んでいた頃、上の階に「杜(もり)」さんがおり、その方には小さなお子さんがいたため、平仮名で名前が書かれたハガキは必ず私の家に間違えて入っていました(笑)
「杜」も奄美特有の苗字だそうです。
あと、新型コロナウイルスで亡くなられた女優の岡江久美子さんですが、父親が奄美の方で「岡江」も奄美市と龍郷町に多い苗字だそうです。訃報を聞いて、岡江久美子さんが奄美にルーツのある方というのを初めて知りました。
今奄美でも新型コロナウイルスが蔓延しているというのを聞きました。コロナに負けないよう頑張っていきましょう!
自分の親父の苗字が井でわかしといいます。
やっぱり奄美大島に多い感じなんですね。
親父も奄美出身ですね。
私の名字は計(ハカリ)です。
夫は鹿児島出身ですが奄美大島ではありません。
が、お父さんは奄美大島だったそうです。息子も自分のルーツを知りたいというので調べたいと思っています。
コメントありがとうございます!
計さん、珍しい苗字ですね。
奄美大島南部の瀬戸内町にいる知り合いが同じ苗字でした。
奄美大島でも地域によってよくある苗字が違うので、
実際に奄美大島に行ってみて調べるのも面白いかもしれませんね!
祖父 大島郡 瀬戸内町 大字 西古見
73番地 みたい です
名字 の ルーツ
見たことも ない 祖父 母親の生まれ 故郷
↑
ちなみに 自分わ 生まれも 育ちも
横須賀市 です
なんなんですかね 笑 祖先 追いかける
みたいな 笑
ご自愛 なさり お互い頑張りましょう
両親共に、奄美群島の徳之島です!久です!奄美に多いですが!大阪堺、茨城大刀洗、高知、福岡、福島、石川能登などにも、ある、苗字ですが、
やはり、徳之島です!親類にも、安ヤス、芳ヨシ、正マサ、実ジツ、徳之島出身で、米川少年~元46代横綱朝潮の遠い縁戚とか?
ナチカ〜わんま徳之島、美名田、兼久、
功二郎・涙な~だイジユイ!
こんにちは。
ひと文字姓の多い島ですが、内地に出て不都合が多くなり、ふた文字姓に変えた人も多かったと聞いています。
当方も名前だけ見れば他国の方々に間違われます。
こんにちは。
僕は東京生まれ東京育ちの笠利といいます
奄美大島には笠利町という名前の地域があると聞きました
奄美大島では笠利という名前は有名なんですか?
こんにちは。コメントありがとうございます。
奄美大島に笠利という地域(以前は1つの市町村でしたが、現在は奄美市に統合されています)があります。
ですが苗字が笠利という人は、私の知り合いではあまりいないです。
由来が奄美にちなんだものではないのかもしれませんね。
笠利さん
私は、龍郷町出身ですが、中学時代を過ごした旧笠利町の大笠利地区には、笠利さんという先輩がいらっしゃいましたよ。
その時の居宅の近くに、赤木名地区に移転するまで、薩摩藩の代官所があったと聞いたことがあります。そちらの看板で、笠利家はその血筋にあたる名家と書いてありました。
因みに私の両親は、池(いけ)と納(おさめ)ですが、シマでもマイナーな名字です。
はじめまして、鹿島と言います。
私が生まれる前に亡くなっていた祖父が奄美大島の宇検村で生まれ、すぐに満州へ渡り戦後は東京へ来たそうです。
先日かなり昔の戸籍謄本を見る機会があったのですが、昭和9年まで『籠』と言う姓だった事が分かり、母も知らなかったようで二人で驚きました。
今は奄美大島に親族はいませんが、皆さんのコメントを読んで私も自分のルーツ探しをしてみたくなりました!
初めまして
主人の父が奄美大島出身で應と言う名字でしたが戦後内地に移り2文字に改名したようです
ルーツが判らずどの地区の名字かわかる方がいらっしゃればお教え頂けますか?
はじめまして。コメントありがとうございます。
「應」という苗字の方にはお会いしたことがなく、地区もわかりません。
お力になれず申し訳ないですが、もし詳しくお話を聞くのであれば、
奄美博物館の方に聞いてみると良いかもしれません。
奄美大島に行かれることがあればぜひ訪れてみてください。
はじめまして
私の両親は奄美出身ですが、私は鹿児島産まれの鹿児島育ち。
今回家族で奄美に行ってご先祖さんのすんでた所を訪ねたいなあと思っています。
ちなみに、母の出身は笠利で旧姓は朝といいます。
はじめまして、私の苗字は祷です。祖父が奄美の西阿室出身です。西阿室は祷さんばっかりいますが、調べてみると祷の姓は元々龍郷町の豪商につけられたとかナントカ。その祷さんがどういう経緯で最果ての西阿室に行き着いたのか興味あります。どなたか知っている方がいましたら教えてください。
ちなみに最近では祷キララという女優さんが活躍していますので、祷の知名度も上がってきました。
奄美のことを知りたく検索してたらここにきました。
奄美の歴史は、深く知識持ち合わせていませんが。
宜しくお願いします。
当方生まれも育ちも関西ですが、渡さん、恵さん、久さん他職場で一緒になった人達は確かに奄美出身でしたわ。ただ渡さんは幼い時期に尼崎に移住してきたらしくバリバリの関西弁(イントネーションも完璧)でしたからエッ?と思いましたけどね(^^)。。
初めまして。
自分のルーツが知りたく、母方の戸籍で辿ると奄美大島 名瀬市大字西仲勝 にいきあたりました。
祖父の名は惠忠麿との事。戸籍を見て初めて名前を知りました。
祖母は大島紬を織る人だったと母の兄姉に聞いた事があります。
祖父母は明治生まれかと思っています。
母は末っ子なので今でいう 恥かきっ子 でしょうか。
私は滋賀に住んでいますが、こちらを読ませていただいて大変な苦労中で暮らしてきた先祖の供養がしたいのでスグに!とは言えませんが名瀬に行きたいと思っています。
はじめまして。
私の父方の祖父母と母方の祖母が奄美大島出身で、それぞれ父方は祖父母共に宇検村で、母方の祖母は瀬戸内町なのですが、苗字ではなく名の方が島と本土とで名前を変えていました。
千代(時千代)
島での名前(本土での名前)
子供ごころに気になったのですが、何となく聞いてはいけない様な気がして今に至ります。
そして、今ではもう祖父母は4人とも他界してしまって聞く事も出来ません
3人共そうだったので、奄美大島から本土へ渡った人の中で、何か思う所がありそうしたのだと思います。
何かわかる方がおられるでしょうか?